Pure & Cool & True


 ふ、と。
 優しく響くメロディーが耳を掠めた。
 音を聞いて、青年――白坂誠は思った。
 ――あぁ、こういうコード進行もいいな……
 さまざまな音を聞いてきた彼でさえ考え付かなかった、音。
 それを考え出したヒトを、一目でも見たいと思ったのも、間違いではなく。
 きょろきょろと、周りを見回す。
 目に付くストリート・ミュージシャン――誠はこの類をあまり好きになれなかった――は全部で七組。
 先ほど聞こえてきた音は、ギターとベースが一本ずつ。当てはまるのは、二組のみ。
 近くのストリート・ミュージシャンの音を聞いてみた。
 ……違かった。これは流行の曲をやっていた。
 もう一組。 男性デュオ。茶髪の青年と、ダーク・グリーンの髪の青年の二人。
 どうやらダーク・グリーンの青年がリード・ヴォーカルらしい。
 その二人の前でじっくりと音を聞いた。
 先ほどのメロディーだった。
「……いい、曲ですね」
 曲が終わって、一言。
 ストリートをやっている人物にこんないい曲が書けるとは夢にも思っていなかった。
 声をかけられた二人は、少し驚いたように顔を上げた。
「どうもありがとう」
「……どーも」
 茶髪の青年は柔らかな笑みを浮かべた。
「ワンフレーズしか聞いてませんよね? フルで、またやりますか?」
 ギターを軽く叩いて。
「あ……。聞きたいんですけど、時間が……。すみません」
 時計を横目で見ると、本当に残念そうな顔をして。
 ギターの青年はその顔を見ると、
「毎週の日曜日のこの時間にはここでやってますから。気に入っていただいたなら、聴きにきてください」
 柔らかく笑って。
 誠はありがとうございます、と軽く礼をしてその場を立ち去った。
 後ろからまた違う曲が聞こえる。それをゆったりと耳に入れて。


§     §     §


 大学からの帰り道。
 ふと、2週間ほど前のことを思い出した。
 音大に通う身として、突然耳に入ってきた音に惹かれた、その時のことを。
 あの音を聞いたのは、日曜日。確か、それを演奏していた彼らは日曜日にはいる、と言っていた。
 しかし、今日は月曜日。1週間近く待たなければあの音を聞くことはできない。
 それでも誠はあの2人が作り出す音を今すぐ聞きたかった。
 入学して間もないといっても、大学はそんな甘くなく。
 息抜きをしたい、とそう思った瞬間に、その音を思い出したのだった。
 あの音はどこか疲れた精神を休ませてくれる。そんな響きがある。
 ぼぅ、っとそんなことを考えていたら、クラスメイトに声をかけられた。
 それなりに親しくしている彼はクラシック系の音楽よりも最近の音に関する仕事に就きたいと考える人間だった。
 誠はもちろん――家柄もあるが――クラシック方面に進むつもりだった。
「Ocean Blueってライブハウスなんだけどさ。そこにすっげぇいい音創るヤツがいるんだって」
 そのあとには行こうぜ、と続けて。
 彼の後ろには数人のクラスメイトもいて。
 息抜きにはいいか、と誠は思い彼と一緒に行くことにした。



 “Ocean Blue”と看板が掲げられていて、入るとそこはライブハウスではなく、喫茶店のようだった。
 クラスメイトの彼が言うには、このさらに奥がライブハウスになっているようだ。
 Ocean Blueがライブハウスとして様変わりするにはまだ時間があるらしく。誠たちはその喫茶店で時間を待つことにした。
 30分も経たない時か。
 見覚えのある色が目の端に映った。
 落ち着いたダーク・グリーンと映えるように輝くイエローの瞳。
 2週間ほど前に見た色だった。
 あのストリート・ミュージシャンの片割れだ。
 しかし、確信を持つことはできなく、声をかけることはしなかった。
 それから10分もたたないで、喫茶店はライブハウスへと少しずつ変わっていった。
 ふ、と周りを見回すと、先ほどの青年の姿が見えなくなっていたことに気づいた。
 どこに行ったのか、と考えるまもなく、奥にあるステージから音が響いた。
 どこにでもいそうなコピーバンドだった。
 少し昔の曲や、いま流行の曲を数曲やると、すぐに奥に引っ込んでしまった。
 そんなのが何組か続いた、そのとき。
 視界にあの色が映った。
 あのダーク・グリーンと落ち着いたブラウンが。
 その2人がステージに上がっていたのだ。
「あ……」
 誠は思わず、小さく声を出した。
 その声は近くにいた友人にすら聞き取れないほど小さなもので。
 明るいイエローの瞳がこちらをちらり、と目を向けたように感じた。だが、それはただの錯覚かもしれない。
 あのときのように2人でやっているのではなく、恐らく助っ人として一時的にバンドに加わっているのだろう、と誠は予想をつけた。
 実際、ギター・ベースと他の音に多少のぎこちなさが感じられる。
 それは音楽に携わっている誠だからこそ気づいたぎこちなさかもしれないが、一度気になりだすとあとを絶たない。
 微妙なタイミングのずれ、その瞬間に申し訳なさそうな顔をするギターの青年。
 つまらなさそうにヴォーカルの顔を見るベースの青年。
 その表情にも視線にも気づくことのない他のメンバーたち。
 明らかなまでに技量の差が出ている。
 と。
 隣に座る友人の呟きが耳を掠めた。
「……あのセカンドギター、いらねぇな」
 その視線の先を見ると、悠然と得意気にギターを持つ青年がいて。
 光の反射では藍にも見える黒髪を揺らし、ただ譜面どおりに、だがそれなりに楽しんでいるのがわかる。
 しかし、あのタイミングのずれにすら気づかないレベルの低い連中だ。
「リードギターとベースの音が死んでるなー、あれじゃ……」
 クラシック方面ばかりを勉強している誠にでさえわかるその音。
 これならば、迫力に欠けるとしてもあの2人だけの音を聴きたくなる。
 ふぅ、と軽く息を吐くと、イスに深く座りなおして。
 もう一度、ステージを見た。
 と。
 オレンジの瞳と目が合った。その瞬間、彼はふわり、と微笑んで。
 それはまるで誠たちの愚痴が聞こえていたかのようなタイミングでの笑みだった。
 呆けたようにそれを見ると、同じように笑って。
 瞳を閉じると、いままで個々として聞いていた音を1つのまとまりとして耳に入れる。
 完全にばらばらな音だと思っていたものも、ベースがうまく纏めているのがわかる。
 セカンドギターのタイミングのずれをうまく使って間を取るリードギター。
 ゆっくりと瞼を上げると、相変わらずの光景が目に入って。
「なるほどねぇ……」
 小さく、自分にしか聞こえないほどの大きさの声でうめいた。
 そのことがわかった今では、全ての音が1つのまとまった音に聞こえるようになった。
 しかも、個々で聞いていたときよりもさらに音が大きく、綺麗に響いている。
 あまり長くもない時間がたって。
 彼らの演奏は終わった。
 ステージから姿が消えるのを確認すると、足元に置いていた荷物を持つと立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ帰るわ。いい音創るってあの2人でしょ? ならもう聞く必要ないし」
 心中で、知ってたし、とも付け加えて。
 それじゃ、というと次のバンドが用意しているのを後に、階段を上った。
 Ocean Blueに入ったときはまだ薄ら明るかった空に、星が僅かに瞬いて。
 暖かくなってきたとは言え、夜の空気はまだひんやりとした風を運んでくる。
 日曜日にまた聴きに行こう、と考えながら暗くなってきた道を歩いた。


§     §     §


 1週間、多すぎると言いたくなるような大学の課題をこなしつつも、あの2人の音を思い出していた。
 たった1度しか聞いていないあのメロディーを、誠は無意識のうちにさまざまなアレンジを施していて。
 それを譜面に書き起こしていたら、Ocean Blueのことを教えてくれた友人にこれはなんだ、とも聞かれてしまった。
「お前らしくない音源ばっかり使ってるな」
 この台詞がいつまでたっても頭から抜けることなく。
 実際、その譜面を見てみれば、ギター・ベースはもちろんシンセサイザーやドラムなど誠が関わろうとしていた音とはまったく違う方向性のものばかりだった。
 ふぅ、と小さく息を吐くと書き起こした譜面をファイルに閉じこんで。
 ファイルの上に手を置いたまま、何かを考えると、深くため息をついてファイルを無造作にカバンの中に突っ込んだ。



 太陽が沈みかけ、空が薄っすらと紫に彩られるその時。
 1ヶ月近く前に聴いたあの音を探しながら、誠はストリート・ミュージシャンを見て回っていた。
 1度しか見ていないので、詳しい場所を覚えているわけでもなく。
 うろうろとあまり考えずに歩いていると、どんどんと人が少なくなっていった。
 立ち止まり、周りを見回すと、回れ右をしてまた足を動かしだした。
 と。
「あ」
 声がすぐ真横から聞こえてきた。
 そっちを見れば、オレンジ色の瞳と目が合って。
「……あ」
 思わず同じ音を漏らして。
 いつも隣にいると思っていたあの緑髪の青年はいまそこにいなく。
 少し迷いはしたが、カバンを抱えなおすと、真っ直ぐに彼の元に歩み寄って。
 目の前に立つと、カバンの中からファイルを取り出した。
「これ……」
 そう言って差し出したのは、数枚の楽譜。
 どこからどう見ても手書きのそれ。
 無言でそれを受け取ると、何度も見返して。
「……これ、あなたが?」
 一通り見終わったのか、顔を上げて。
 誠は頷いて、
「勝手にアレンジしたことは謝ります。でも、それを俺が持ってても何もならないから……。必要なかったら捨ててしまっていいんで、どうぞ」
 はっきりとした声音で、一息で言い切った。
 ふぅ、と息を吐くと、それじゃ、と言ってその場を立ち去ろうとした。
「ねぇ、君さ。何か楽器って扱える?」
 質問のようで、しかしその確信を持って。
 誠は音楽大学でピアノを主に勉強している。
 ピアノ以外でも、管楽器でも扱えるものがある。
 そう言うと、目の前の青年は軽く頷いた。
「じゃあ、このキーボードのパート、できる?」
 できて当たり前だ。
 このアレンジは誠がやったのだから。
 と。
「すまん、遅くなった」
 突然、後から声。
 振り向けば、濃い緑色が目に入って。
「涼、ちょうどいいところに。近くからキーボード借りてきてくれないかな?」
「……は? キーボードなんて誰がやるんだよ」
 肩に担いでいたベースをすでに地面に置かれていたギターケースの横に置いて。
 そのまま顔を上げれば、青年は誠のことを指していて。
「……って! 俺、やるなんて一言も言ってませんよ!」
 わめく誠を横目に、青年は相方――涼、と呼んでいた――に向かってお願いねー、と一言だけ言った。
「あぁ、僕は斉木純。あっちは藤城涼って言うんだ。君は?」
 少し遠くにある後姿を指して。
 はぁ、と小さくうめくと、
「……白坂誠です。あの、……」
 誠が名前を言うまで待っていたのか、その次に紡ごうとした言葉を遮って、
「このアレンジ、フルでやって欲しいんだけど。……いいかな?」
 先ほどの楽譜の一部。
 誠が施したアレンジは3パターンあって、その中でキーボードを追加したアレンジの楽譜を手に取っていて。
 それと、とあとに付け足して、
「このアレンジ・バージョンを3人でやってみたいんだ。いいかな?」
 にっこり、と笑みを零して。
「……アレンジするのはいいですけど、ここでやるのは嫌です」
 諦めたように溜め息をついて、しかし、はっきりと拒絶して。
 仕方ない、といったふうに肩をすくめると、
「じゃあ、それでお願い。ちょうど涼も戻ってきたし」
 そう言われ、後を見てみれば、キーボードを抱えた緑髪の青年が見えた。



 アレンジをするため、ということで、1度その曲をフルで聴いて。
 残りの部分を全て楽譜に書き起こしていった。
 その間にもだんだんと彼らの周りには観客が増えてきていて。
 ただヘッドフォンをしてアレンジを施している誠は前で演奏する2人の背中に目をやった。
 ――あー、ほんと楽しそうにやってるなぁ……
 少しだけヘッドフォンをずらすと、2人の生の音を聴いて。 ――あれ……?
 1ヶ月ほど前に聴いたあの音とはまた微妙に違う音が耳に入って。
 と。
 2人同時に、後を振り向いた。
 誠のアレンジした音だった。
 すぐに2人の視線は譜面に戻った。
 何故か、その瞬間に誠の顔には笑みが浮かんで。
 小さな動作でヘッドフォンをキーボードの端末から抜き去って。
 タイミングを計り、2人の音にキーボードの音を重ねた。
 2人はそれに驚くことなく、それどころか当たり前のように音を紡いでいった。
 いつもの彼らの音とは違うそれに、観客のほうが驚いていて。
 しかし、誠が参加できる曲はそれだけで。
 他の曲の時にはまたヘッドフォンをして、アレンジを続けていた。
 1時間ほどたったか、楽譜に書き込んでいた手を止めた。
 顔を上げると、片づけをはじめている2人が目に入って。
 と。
「それ、返してくるけど、もういいか?」
 緑髪の青年――藤城涼、だったか――がそれと言ってキーボードを指していて。
 そういえば借り物だったな、とこのときに思い出した。
 頷くと、周りに散乱している楽譜をかき集めて。
 一通り順序よく並べると全てを純に渡した。
「ありがとう。……で、さ。僕達と組まない?」
 言われた瞬間、完全に脱力して。
 ニコニコ顔のまま純の表情は変わることなく。
 このままでは負ける、とでも思ったのか、深く溜め息をつくと、
「俺をその気にさせるような曲を書いてくれれば、考えますけど?」
 にやり、と笑って。
 そっか、とつぶやくと、
「それじゃあ、ときどきOcean Blueに着てね。待ってるから」
 ニコニコ笑ったまま。
 その笑みには絶対の自信が見え隠れしていた。
 やばいこと言ったな……、と多少の後悔もしつつも笑みを崩すことなく。
 すぐに戻ってきた涼は怪訝な顔をしながら2人を見ていた……。



 これから、半月ほどか。
 毎日のようにOcean Blueに誠の姿が見られるようになったのは。
 このときだった。
 彼らが“自由の翼”の影を見たのは。
 いまだ届かぬその翼。
 だが彼らは着実にそれに近づいている……。



あとがき…
  …長すぎ_| ̄|○
  これでも短く切ったほうなんです…
  しかも純って何気に強引だし…w
  書いていたらこんなキャラに…!
  まぁ、これくらいしないと動かなさそうなやつらばっかりだからまぁいいや。
  しかし、Freedom Wingはなかなか進みません…
  ふぁんたじー系のが書きやすいといまさらながらに気づきました…(ぁ
  精進します_| ̄|○